読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世界の始まりについて考える ~究極の問い~

ワケ分からん記事 雑話

最近、本当に暇が無いので、過去ブログの記事を推敲した記事になります。

申し訳ありません…

 

f:id:smcn616:20160305123329j:plain

みなさん突然ですが、この世界の始まりについて考えたことはありますか?

「世界=宇宙」なのか、それとも宇宙よりもさらに大きな単位の空間なのか…

私達はまだ、この世界について、何も知らないに等しい状態です。

 

果たしてこの『世界』は、一体どのようにして生まれたのでしょうか?

 

今現在、世界が存在する場所は、もともと何も存在しない『無』であったはずです。

では、どのようにして『無』から『世界』が生まれたのでしょうか?

物質は、生物は、世界は、宇宙は、何処から生まれたのでしょうか?

 

どんな問いも及ばない、この世界自身の『究極の問い』について考えてみました。

 

 

『究極の問い』とは

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」

哲学上で議論される、有名な問いの一つです。

 

それらは、

「なぜ世界があるのか」、「なぜ宇宙があるのか」、「なぜ無ではないのか」

などの形で議論されており、世界の様々な事象を「なぜ」と突き詰め続けると、最終的に必ず到達する問いであり、人類の最大の謎であることから、『究極の問い』と呼ばれています。

 

人類の歴史の中で、この『究極の問い』は幾度も議論されてきましたが、未だに完全な答えを出した者はいません。

 

そんな『究極の問い』に関する、過去の説を見ながら、今回は私の考える世界の始まりについても解説したいと思います。

 

 

宗教上の世界の始まりについて

様々な宗教で、世界の始まりについて定義されていますが、それらはほぼ全て、この世界の完全上位にあたる世界に住む創造主が、この世界を創ったというものです。

 

もちろん、上位世界の存在も否定できず、これらが説として正しい可能性もあるのですが、その上位世界自体の始まりについても定義しなければならなくなるためそれ自体が『究極の問い』に対する『答え』になりえません。

 

 

ライプニッツ 【神の存在論的証明】

17世紀のドイツの哲学者「ライプニッツ」の唱えた説です。

 

この世界は、『神』が『無』から作り出したという宗教に寄った説ですが、神の

存在についても証明している説です。

 

神の定義としてライプニッツは、

「神は、全てを超える最上級の能力を有する、つまり全能である」

「神は、全てを超える最上級の知識を有する、つまり全知である」

「神は、全てを超える最上級の道徳性を有する、つまり完全なる善である」

「神は、全てを超える最上級の存在としてあり、必然的存在者である」

 としています。

 

つまりは『神』には論理が通用せず、理の上で必然的に存在しているという事で、神の存在については、定義する必要がないという事です。

 

しかし彼の説には、神の存在について欠点があります。

それは、この世界に痛みや苦しみがあることに起因し、

「神が、痛みや苦しみの無い世界を創れなかったのなら、神は全能ではない」

「神が、世界に痛みや苦しみが生まれることを予測できなかったのなら、神は全知ではない」

「神が、世界に痛みや苦しみがあることを知りながら放置しているのなら、神は完全なる善ではない」

これらの3つのどれかには、必ずあてはまるので、神の存在自体が危うくなり、この説が正しくない事を証明しています。

 

 

ベルクソン 【無いは無い】

20世紀フランスの哲学者「ベルクソン」の唱えた説です。

 

ベルクソンは、過去を記憶し、未来を想像する生物は、何かに対する発見への期待を裏切られた時、その何かは『無い』と考えるが、実際は『ある』の連続であり、「『無い』は無い」と話していました。

 

そしてベルクソンは、何かが存在しているということは、「1=1」や、「13=13」のように、それはただそれ自身によって成り立っていて、存在することには、定義や根拠をもって理由付けをする必要がないと話しました。

 

つまりは、「なぜ世界があるのか」を定義するために、「なぜ無ではないのか」を定義し、『無』は存在しないと考え、世界の存在は必然であり、『始まり』も『終わり』も無い『永遠の存在』であると言っているのでしょう。

 

考えてみれば、『始まり』も『終わり』も人間が創り出した概念の一つなので、そんなものは本当は存在しないとされてもおかしくはありません。

現に、生物は『生』という形の始まりから『死』という形の終わりへと向かい、物体は『完成』という始まりから『破損』という終わりに向かうわけですが、実際は様々な物質が形を変えて存在し続けているだけであり、そこには『始まり』も『終わり』もありませんし。

  

 

『究極の問い』に対する私の『答え』

さて、今まで過去の哲学者たちの説を紹介してきましたが、最後には私の考える説を紹介したいと思います。

私の考えはこうです。

 

①世界が存在していた場所は、もともと無である。

私の説では、世界は『無』から始まります。

『無』とは、空気も何も存在しない空間です。

そのため、『無』に何かの物質が急に現れたとしたら、宇宙空間に空気を放つように、その物質は急激に膨張していくでしょう。

 

②時間の原理が解明され、過去に戻れるようになる

遠い未来、いつかは時間の原理が解明され、タイムマシーンも開発されるでしょう。

そのころに人類が存在しているかどうかは危ういですが…

そしてタイムマシーンが開発されれば、世界が『無』であった過去に行くこともでき、『無』に物質を送ることだってできます。

さらに言えば、世界そのものを過去に転送することだってできるのです。

 

これができるようになれば、『無』から世界が発現する矛盾が解消されます。

 

③9の字に世界は循環する

結果的に、時代をたどってきた『世界』は、ある一点から過去に戻り、再び時間をたどり、再び過去に戻る…の繰り返しになります。

つまりは、『無』から『世界』が発現した時間を交点として、「9」の字のように時間軸を循環し続けるのです。

 

タイムパラドックスの心配もありません。

広い世界、長い時間の中で、いかなる文明を持った生物もいつかは滅び、そして時間軸の回帰により、広い世界の中で再び生まれた生物は、先代の文明と同じ歴史をたどることになります。

『無』という『始まり』を持ち、決して『終わり』が存在しない、完全なる『無限に循環する世界』が誕生したわけです。

 

④そして現在

この説が正しいのなら、現在は「9」の字の丸を回っている真っ最中になります。

私達は、現在の周より前の周で何度も生まれ、何度も消滅してきたのでしょう。

そう考えてみると、なんだか不思議ですね!

 

 

まとめ ~いつかは解明されるのかな?~

今回は世界の始まりについて、様々な『答え』を見てきましたが、全て根拠のないものであり、どれが正しいとも言えません。

 

この『究極の問い』は、いつかは解明されるのでしょうか?

それは私が生きているうちか、はたまた何億年も先か。

そしてもしかしたら、永遠に解明されることはないのか…

 

あなたは、世界はどのようにして生まれたと思いますか?